ジャーナリスト佐藤幹夫氏との教育対談

ジャーナリスト佐藤幹夫さんのお誘いを受けて、2003年春、ディープに語り合いました。

 

◆聞き手

佐藤幹夫(さとう・みきお)

ジャーナリスト(元養護学校教諭)  編集工房『飢餓陣営』主人

 

著作の一部

筑摩書房

『ルポ高齢者ケア―都市の戦略、地方の再生』(ちくま新書)

PHP研究所

『青年期の発達障害とどう向き合うか』

『村上春樹の隣には三島由紀夫がいつもいる』

岩波書店

『知的障害と裁き―ドキュメント千葉東金事件』 『裁かれた罪 裁けなかった「こころ」…17歳の自閉症裁判』 『認知症ケア最前線』 『人はなぜひとを「ケア」するのか』 『ルポ高齢者医療』(岩波新書)

洋泉社

『「自閉症」の子どもたちと考えてきたこと』 『自閉症裁判…レッサーパンダ帽男の"罪と罰"』 『ハンディキャップ論』 『精神分析医を精神分析する』

共著書

洋泉社新書y『「こころ」はどこで壊れるか』 『「こころ」はだれが壊すのか』 『「こころ」はどこで育つのか 発達障害を考える』 『哲学は何の役に立つのか』 『刑法39条削除論は是か非か』

 

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 (工房主人弁)
本田さんは不思議な人である。例えば読書会「しょ~と・ぴ~すの会」(主宰…評論家・小浜逸郎)での本田さんは決して多弁ではないが、しかし独特の存在感がある。それがどこからくるのか。本田さんは他の参加者の発言を実によく記憶しており、二次会の席で、ジョッキ片手に質問攻めにしてゆく。当方も一度その矢面に立たされたことがあった。その日の会にあって、取り上げた著書への否定的な意見が最後までつづき、当方は有効な反撃のできないまま終わろうとしていた。イタチの最後っ屁のごとく「これは文学なんだから、文学として読まれるべきではないか。そうした読みでは(リポーターのまとめのこと)、この本のもつ文学の『力』が消えてしまう」と呟いた。

その言を耳聡く聞いていた本田さんは、席を移すと、やはり焼き鳥を片手に「文学として読むってどういうことなの、佐藤さん」と尋ねてきた。意表を突かれながらも何とか答えると「文学ってなんなんだろう、それは佐藤さんの人生を左右するほど価値のあるものなの?」と、たたみかけてくる。しかし決して揶揄しているわけではないし、糾弾の姿勢でもない。育ってきたカルチャーの違いは明らかで、素朴に疑問を感じ、素直に問うてくるという感じだった。

本田さんは異質なもの、未知のものに対して開かれている。自分とは違うと遠ざけない。なるほど、本田さんは読書会にあって、吸収の「塊」になっているのかと推測された。それが存在感の理由だと思い当たったのである。「勉強ができない子の力になりたい」という言葉は、当方には不思議な一言である。その言葉はときに独善や「お子様教」的イデオロギーの匂いを撒き散らすものだが、本田さんがそれを感じさせないのも、おそらくこのことによる。その秘密の一端を何とか解き明かすことになればと考え、ご登場願った次第である。以下、本田さんの「やわらかなヴァイタリティ」といったものをご賞味いただきたい。

 

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本田哲也氏vs工房主人の 超「教育論」???

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とき:「サクラ咲く」と報じられた暖かいある日。
ところ:JR中野駅北口「クラシック」


(クラシック好きの本田さんのご指定が、知る人ぞ知るこの「クラシック」であった。ここはなぜか工房主人には思い出深い場所である。そんなことは、もちろん本田さんは知らない)

 

工房主人/ 略歴を拝見すると、すでに大学入学時点で、「進むべき道」を決めておられたようです。私などは6年間も大学でウロウロし、そこから更に2年間就職浪人し、モラトリアムの走りのようなことをやったわけですが、本田さんの場合、「人生の決断」にあたって何かきっかけはおありだったのですか。

 

本  田/ 都立大入学の前年にルソー『エミール』(岩波文庫)に出会ったのが、教授学を勉強したいと思うようになるきっかけだったと思います。高校入学直後に親しくなった同級生の妹さんが、知的障害をともなう進行性筋萎縮症の患者さんで、お家に遊びに伺うたびに、妹さんの症状が悪化していくのが、素人目にもわかりました。友人は後に筋萎縮症の治療法を研究する神経内科医になるのですが、ご家族はノーベル小柴さんの結婚スピーチもされた理論物理学者・武谷三男ご一家と大の仲良し。文化水準のベラボーに高い友人ご家族と懇意にさせていただくうちに、「ノホホンと生きていては駄目だ!できることなら、ぼくも困っている人の味方になれるような職業に就きたいものだ」と、生徒会長をしていた高2の終り頃、考えるようになりました。

 

工房主人/ 友人は選べ、と言われますが、それを地で行ったわけですね。で、大学に進まれる。

 

本  田/ いや実は、高卒後、実家の経済的事情で、大手電気メーカーで働き始めました。月給10万円の4分の1を親に仕送りしつつ、大学進学の学費を貯金しながら、細々と受験勉強を続けました。元アマチュア無線少年で、将来は医療電子機器の研究開発に従事したい、というのが夢でした。八木アンテナを開発した東北大工学部電子工学科は、当時の電気小僧の憧れ。もう少し数学と物理の才能と財力があったら、ノーベル田中さんと同窓生になれたかもしれなかったなあ……。

で、工場の昼休み、屋上の躍り場が1人静かに読書できる当時唯一の時間と場所だったのですが(なんとも暗いですねー)、将来のこと、自分の適性と能力、本当にやりたいことは何なのか等々、悶々と自問自答する最中にたまたま出会ったのがルソーの『エミール(中)』だったのでした。

いやあ驚いたのなんのって。そこに描かれた200年前フランスの学校の実態と現在の日本の学校の実態がそっくり。学校は変化しない!?私立幼稚園の入園試験以来抱いていた疑問を解く鍵が「教育」の世界にあるらしいと気づきまして、真に大袈裟ですが「教育の世界なら死ねるかも」とそのとき本気で思いました。

少人数指導で、数学や理科や英語の教員免許が一応取れて、バイトで払えるくらい学費の安い大学を物色して見つけたのが都立大で、理学部と人文学部のどちらに願書を出すか締切り前夜まで迷いに迷った末、受かる確率の高そうな人文学部のほうに出したら受かった、という次第です。

 

工房主人/ そうだったんですか。そういう苦労話があったとは知りませんでした。親のすねを25過ぎまでかじり続けたワタクシとは大違いで、人生に「志」を持って、これだ!とやる人は、やはり気合の入り方が違いますねエ。まあ、人それぞれということなのでしょうが、人それぞれでありながら、こうやってワタクシと本田さんが出会うところが人生の「妙味」なのでしょう。で、研究を進めながら、どんなことを考えておられた20代前半だったのでしょうか。

 

本  田/ 研究だなんて、とんでもございません。教育学業界の右も左もわからぬまま途方に暮れる、お恥ずかしい毎日でした。まずは入学してみて、びっくり。「教育学者」を名乗る人々にとって、教科教授法は蔑みの対象で、我が都立大にはそんな下等なものを教える先生は一人もいないと言う。仕方がないので籍だけ置いて、教育市民運動雑誌『ひと』(太郎次郎社)を創刊した数学者・遠山啓と、『ひと』に連なる白井春男(歴史)、板倉聖宣(科学)、松本キミ子(絵画)、森毅(教育論)らの著作をほぼ全部読んだり、押しかけて学校教師対象の勉強会に参加させていただいたりしました。

当初は、言説水準が教育業界随一に光り輝いていた障害児教育に憧れたのですが、ボランティア中に腰痛をひどく患い、これは断念。

 

工房主人/ それは残念。ワタクシの「後輩」になり損ねたわけですね(笑)。ワタクシはカラダだけは頑丈でしたから(無事これ名馬なり、ですヨ??)、何とか二十一年間勤まりました。あるいは今ごろ、ワタクシと発達論をガンガン交わし、佐藤ヨ、勉強が足りん、とか言われていたかも知れない。そう考えるとちょっと残念ですねえ。これも人生の「アヤ」というヤツでしょうか。でも、またなんで塾関係の仕事に深入りされていったのでしょう?

 

本  田/ もともとは学費と生活費稼ぎのためです。アルバイトニュースと新聞広告で調べたら、水商売と並んで時給の一番高いのが家庭教師や進学塾講師でした。ところが続けるうちに、文部省・学習指導要領に準拠した教科書の学習援助領域に、未解決の問題が山積みのまま放置されていることと、それが原因で勉強に困難を抱えるようになった人が、日本中に大量に存在することに気づきました。学校教師へのお誘いは何校かありましたが、小中高・英数国理社の授業をやりたかったので、結局お断りしました。

大卒後は、在学中に教育雑誌に投稿して掲載された拙稿の縁で、集英社、晶文社、ポプラ社(児童書業界最大手です)の仕事をしながら、単純だけど「勉強で困っている人の味方になりたい。それを生涯の仕事にしたい」と考えるようになりまして、昭和62年春にtoBe学習援助室を開設しました。以来、この稼業だけで生計を立ててます。

 

10代の末から抱いていた謎は、唯物論と主観・客観の関係(=認識論)だったのですが、これは昨年、西研さんの労作『哲学的思考---フッサール現象学の核心』(筑摩書房)に出会い、ほぼ氷解。(麻布人間学アカデミー会場入り口に置かれていた佐藤さん御所有の書き込みだらけのものが、目にした最初でした)。高校以来最大の難題だったへーゲルご指摘の自律と承認の問題も、toBe学習援助室の仕事を続ける過程で、社会的な自律と被承認の実感を得ることが近年ようやく出来るようになってきて、これもまあ大体は解決の方向に進みつつあります。

現在に至るまで解けない疑問は、小中高の英数国理社&音美体技家総の教え方に関心を持つ人が何故かくも少ないのか、です。教科書とか教科教授法って人間文化のエッセンスみたいで、勉強すること自体が面白いし、勉強した分だけ生徒さんに喜んでいただけるし、こんなに面白い領域は他にちょっと見当たらないのになあ、などと日々感じております。

 

工房主人/ 社会的自律と自己承認の問題を、お仕事をされるなかで納得しつつある、まさにワタクシもそうで、目下、お話のあった西研さんにご無理を願って「対話集」の企画を進めていますが、そこでも同様の話題が出てきます。ワタクシが養護学校時代の現場の話しを西さんにぶつけ、それを西さんに「哲学」というフレームを通して問題を普遍化したところから組み立て直していただく、という画期的なものです(笑)。どんなふうに仕上がるか、ぜひご期待ください。

 

と前宣伝したところで、全教科を教えてこそ、教師の本分であると言われる。本田さんは、どうしてかくも根性が座っているのだろう、とは感じていましたが、やはり根っからの教育者、実践者なのですね。ワタクシが教師時代私淑していた、淑徳大学で障害児教育を教えているある先生も、研究だけではなく就学前の子どもの臨床をしているのですが、以前「臨床が面白くて仕方がない、50を過ぎたらますます面白くなってきた」と言うのです。それを聞いて「これはかなわん、おれにはそこまでできない」と、驚きとともに思ったことを覚えています。ワタクシも結構気合を入れてやっていた方だった(はず)なのですが。でもいつも洩らすことですが、根っからの実践者を支えるそのマインドは何なのだろうなと、ほんとうに素朴に感じます。

 

本  田/ 自分で勉強してるときにはよく見えなかった、教えようとしている事柄の一番本質的な部分が、生徒の目を見ながら説明してる最中に、突然ピカッと光って見える、みたいな幸福な瞬間が、ときたま訪れることがあります。その時その場で、そのピカッの部分を言葉や図にして説明すると、まず間違いなく、生徒さんはにっこり微笑んでくださる。こうした生徒さんの「わかったあ!」「できたー!!!」の瞬間に立ち会えるのが、たまらない喜びでありまして……。役得であります。

 

工房主人/ それは分からなくはありません。特に多くが言葉のない子たちとの付き合いでしたから。でもワタクシには、なんか捨て切れない、自分自身への執着というか「業」のようなものがあるんでしょうね。それだけではどうしても完結しないのです。因果なことです。それはさておき、本田さんのやっておられる学習援助室の現在の様子、特に「不登校生」や「学習困難な生徒」の現状をお話いただけませんか。あるいはそこで心がけておられる事なども含めてお話していただければ。

 

本  田/ 午後4時、ピンポーンと玄関チャイムが鳴ると、インターフォンに向かって私が「トゥー(to)」と言い、「ビィー(Be)」という返事が返ってきたところで、入口のドアを開けます。「こんちわあ!」と4時からの生徒たちが次々にやってきます。この合い言葉は、もとは押売り除けに始めたものなのですが、なかなか言葉を発することができない不登校の子どもたちの発話のきっかけにもなっているようです。

 

工房主人/ それはおもしろいところに着眼しましたね。まったくその通りなんです。言葉を閉ざしてしまった子は、そうしたちょっとしたことが、しかもこちらが予想もしなかったことが、言葉を口にし始めるきっかけになることがありますね。ワタクシの経験で言っても、長いこと声を出さなかった子が、偶然マイクを持たされたら、少しずつ声を出し始め、発話のきっかけになったとかありますし。合い言葉を入れたあたり、本田さんのセンスがにじみ出ていますね。すみません、話しの腰を折ってしまいました。

 

本  田/ 工房ご主人様のお褒めにあずかり光栄であります。toBe学習援助室は目黒区の静かな住宅地の小さなマンション一階にあります。正式名称は「学習援助スペース not tohave but to Be」。「点数、学歴、お金などの所有(to have)にこだわらず、自分の取り柄・持ち味・固有性に自信と誇りを持って、あるがまま(to be)を信じて生きませんか。背伸び・欲張り・高望みをやめて、足るを知り、分をわきまえて、御一緒に生きませんか」という気持ちから名づけた屋号です。

 

工房主人/ 当方の「樹が陣営」などといういい加減な名前とは大違いですね(笑)。

 

本  田/ いえいえ、「トベ学習室……じゃあないんですかあ?(語尾上げ)」みたいな問い合わせが後を絶ちません(笑)。

開設当初は、不登校の中学生と高校中退生らが大半で、勉強の苦手な登校生が少しだけいるようなスペースにする予定でした。ところがスタートしたとたん、学校も勉強も大好きな元気いっぱいの小学生も口コミで次々に入学してきまして、みんな一緒に勉強するようにしてみたら、これが案外よかった。BGMにヴィヴァルディやハイドン、モーツァルトの準全集が流れる6畳1間の教室に、3人がけの会議用テーブルが2列平行に並び、6名前後の生徒が2~3人づつ向きあって座ります。落ち着きなくおしゃべりしながら漢字を覚える小学4年生の隣りで、不登校の中学3年生が2次関数の問題を解く。その向いで大学受験生が英文読解の難問をすらすら解き、隣りでは40代の看護学校生が大検の化学に取り組み、通信制高校生が日本史のレポートに励む。

その間をぼくが行ったり来たりしながら、1人ひとりの鉛筆の先端の動きを凝視し、リアルタイムで丸付けをしていきます。同時に、「先生、あのね…」で始まる生徒たちのさまざまなお話――進路や自分自身の問題、友達や親や学校の先生との間に起きた嬉しかったことやムカついたこと――に真剣に耳を傾け、相鎚を打ち、感想や意見を述べる。家庭教師の1対1授業を6人同時にやる要領です。小中高・英数国理社の授業を1人で行いながら、突然かかってくる不登校の親の電話相談に応じる……これが普段の授業風景です。

 

工房主人/ うーん、なんか奇跡的な光景ですね。教育の原点を体現していると言うか、なかなかの見ものです。ワタクシも実は教師になる前、田舎で少し頼まれるままに中高生に勉強を教えたことがあります。多いときには5人ほど集まり、まったく違う内容を教えていました。当方の場合は腰掛と言いますか、本田さんのように目的も「教授学」などというものもない、週二日ほどの必要に迫られた対応だったのですが、なかなか大変でした。それを毎日、何年も続けるというのは相当ですね。やはりコツがあるんでしょうね。

 

本  田/ はあ、いやまあ……種明かしをしてしまいますと、ぼくが一人の生徒に新単元のポイントを説明している数分間、他の生徒は各自、問題集やプリントの問題を自力で解いて、自分で答え合わせをしているのです。ぼくの説明のほうですが、学生時代から、食う必要性から何件も抱えていた家庭教師の1対1個別指導中に見つけた、どの生徒さんも共通に躓くポイントが頭の中に蓄積されてゆきまして、どんどん簡潔かつ短時間で済むようになってゆきました。「微分とは接線の傾き、積分とは面積」とか。あとは必要に迫られて2対1、3対1……と徐々に増え、7対1で教室スペース的に限界になったという次第です。

 

工房主人/ 良き実践家は良き実務家でもある、というのは滝川一廣さんとの『「こころ」はだれが壊すのか』でも出てきたことですが、まさにそれを地で行っておられる。あれがない、これがない、ではないのですね。で、生徒さんは全部で何人くらいなのですか。

 

本  田/ なにぶん狭いもので25名で満席です。平均すると登校生6割、不登校生や高校中退生らが3割、社会人1割で、全体の7割が10代後半。これまで6歳から60歳まで幅広い年齢の人たちが通ってきました。その2割前後は当人か親が統合失調症、躁うつ病、境界例、各種の神経症と心身症、てんかん、高次脳機能障害……といった病気や障害のある方々でした。午後4時から夜10時までが授業時間で、1コマ1時間半の授業が1晩3コマ。生徒は希望に応じて週1コマから6コマまで選択でき、話し合いで決めた曜日のコマに通ってきます。……というのは2001年度までのお話。

 

工房主人/ あら、そうなんですか。

 

本  田/ はい。教育改革が施行された2002年度から、これまで一度も出会ったことのないニュータイプの高校受験生や大学受験生が入学してきました。勉強しない。怠学。中2中3の英数国がさっぱりなのに、高校入試直前1ヶ月を切っても授業時間の3分の1を「懐かしのセーラームーン再放送についつい見入ってしまって」遅刻、欠席。中1英語がボロボロなのに高3の夏休みから年末まで週2晩、コンビニで「将来クルマを買うために」バイト……。

2002年「ゆとり教育」改革と因果関係があるのか無いのか今のところは不明であり、とにかく目の前の生徒さんの現実にぴったり合わせて学習援助するのがモットーでございますので、当面は新型生徒さんの生態をよく観察するしかないのですが、私は驚いた、ということだけは確かな2002年度でありました。

 

工房主人/ 文科省が手塩にかけて育てた(笑)新種が育ってきたわけですね。不登校生の現状はいかがですか。

 

本  田/ 当方を訪ねてくる不登校生の大半は、通い始めの半年から1年くらいは、発話もアイ・コンタクトもままならず、ノンバーバル・コミュニケーション、オンリーです。これは開業した80年代後半からあまり変化してません。テレビの不登校番組で目にする自己主張の強い意志的「登校拒否」タイプの若者は、なぜかtoBe学習援助室には近寄ってこないようです。

17年前と比べて歴然と変化したなあと感じますのは、深刻感、悲壮感、切迫感、絶望感……といったものが、ずいぶんと減った、かのように見えることです。官民あげての努力の成果で、不登校に関する社会的認識の度合いがずっと高くなったからかもしれません。親の対応も格段に素早くなったし(早過ぎるケースもしばしば)。

精神科医と臨床心理士の疲労に近似していると思うのですが、不登校生および親御さんとの関わりには、学校大好き生徒の10倍くらい多くの体力的かつ精神的なエネルギー、タフネスが必要です。「気を使う」というか。スポーツ選手のように消耗が激しく、40歳のとき心臓に変調をきたしまして、体力と気力の限界を自覚しました。考えた末、それまで平均3~4割だった不登校生を1割に減らす方向に舵を切りました。具体的にはフリースクールガイドブック関係への掲載を減らし、不登校生の学習援助が得意です、とは宣伝しないようになりました。

 

工房主人/ なるほどねえ。ワタクシの経験からも類推できることではあるのですが、差し支えないようでしたら、消耗の内容をもう少し話していただけますか。

 

本  田/ 大勢の人と一緒に居て疲れちゃう「パーティー疲れ」とか「人疲れ」、重病の知人や重症の親類を見舞った後にぐったり来る「見舞い疲れ」のような身体感覚に、似ているところがあるかもしれません。なんというか、こちらの生命エネルギーが吸い取られていくような感じ、とでも言ったらよいでしょうか。

対話精神療法や臨床心理の言葉に「気分は伝染する」というのがあります。(滝川一廣先生には更に「怒りは感染します」と教えていただきました)。絶望で打ちひしがれている友人が座の中に一人居ると、次第に皆の気持ちがブルーに沈んでいく、みたいな感覚。その人数比が逆転して、本やパソコンで床面積が実質4畳半の窮屈なマンションの密室で、現在の自分の有り様を全面否定し、将来に一抹の希望も見出せない、不安のかたまりみたいな初期段階の不登校生4~5人に加えて、少し慣れてきて陰性転移のネガティブ感情をこちらに向けるようになった1~2人の、計6~7人にぐるりと囲まれて、数時間を共に過ごすとしたら……といった話、そうした体験のない方に、誤解のないように通じるとよいのですが。

 

工房主人/ いや分かりますよ。僭越ながら補足させていただくと、子ども集団の発散するエネルギーは、やはり大変なものがあり、それを受け止めるには、受け止める側にも相応のエネルギーが要ります。子ども集団が「不安のかたまり」を発散してきたら、それを受け止め、受け止めるだけではなく何とかプラスのエネルギーに転化しなくてはならないわけですから。それには元気な子たちの場合の、倍以上のエネルギーが受け止める側には必要でしょうね。そのほか、なにか心がけておられることがありましたら。

 

本  田/ 落ちこぼれ生徒の哀しい惨め感を忘れないためにも、毎週1日、落ちこぼれ体験を反芻してます。腰痛リハビリのためにエアロビクスを始めて今春で丸10年。エアロビクスは初級から最上級まで大体7レベル位のクラスがあります。通い始めて半年後頃でしたか、1年に1レベルづつ上がろう、と思い立ちまして、2年前から最上級クラスに参加するようになりました。でもこの10年間一貫して、各レベルのクラス片隅でまごまご、おたおたしながら、見事な群舞を一人で乱し続けてます。エアロビクスって究極の一斉授業でありまして、インストラクターの毎回異なる振り付けを真似て同じように踊ればよいのですが、ぼくは動きの覚えがひどく悪いのです(特に「パラパラ」系の腕の動き)。一度覚えれば忘れないのですが、覚えるまでに人一倍時間がかかる。だから覚えの速い他の大半の参加者の流麗な動きから常に数テンポ遅れる。よって、ぶつかるやら、こけるやら、恥ずかしいやら、情けないやら……。

それとエアロビクスのインストラクターって、レッスン開始前はスタジオ入り口に立って、ばらばらと入ってくる参加者一人ひとりに「よろしくお願いしまーす!」と一礼し、終了すると出口にすっ飛んで行って、大挙して出てくる参加者一人ひとりの目を見て「ありがとうございましたあ!」って挨拶するものなのです。10年間、感心しっぱなし。毎回、頭が下がります。教師業は接客業、教師は客商売です。だから「生徒本位」でありたい、といつも念じております。企業やエアロビ・インストラクターの「お客様本位」、お医者様の「患者本位」を真似たいです。

 

工房主人/ こけてぶつかってハジをかいても、もとはとっているわけですね(笑)。そのへんのプロ意識は、さすがです。 公教育の先生たちにはまた別の大変さがあるのでしょうが、「最大限のおもてなし」を心がけるサービス業者の精神を、本田さんの半分も持ってくれると、もう少し公教育も変わるかもしれないなどと勝手なことを思ったりもします。

 

本  田/ 生徒数の少なさイコール経営の苦しさから、生徒に媚びたり保護者にへつらうのは下品である、という矜持の感覚があります。大隈重信の秘書/通訳で、浅沼稲次郎の友人だった祖父の家訓の一つが、「乞食商売はするな」。これは何とか維持しました。問題は慢心でございまして、サービスにちょっとでも手を抜くと、私学も塾も生徒数はたちどころに激減し、大経営難に陥るもののようです。今からちょうど10年前の開業7年目に、実存の底板が抜けるような経営恐怖体験をいたしまして、以来、肝に銘じております。

構えの基本は「2歳の人にも尊敬できる人がいます」。「子どもと目線の高さを同じにせよ」というよく知られた教師心得を、元東大教育学部長・堀尾輝久とか元都立大総長・山住正己の兄貴分だった白井春男さんが、「俺は60歳だが20歳の学生と居れば20歳になれる。3歳児と居ると3歳児になれるぜ」と表現され、それに続けて「3歳の人にも尊敬できる人がいるぞ」と諭されたのがルーツです。後年、強盗の人質になった2歳児が2晩耐え抜いて無事生還した事件をテレビで見て、勝手に1歳下げました。自分に出来ないことが出来る人は、生徒であろうとなかろうと、無条件に尊敬しちゃうことにしてます。

 

工房主人/ そうなんですよ。「同じ目線の高さ」というのは、同調力なんだとワタクシは思います。頭で考えてできることではないですね。まさに小浜逸郎さんの言われる身体性=情緒性の問題で、身体=情緒のモードが、目の前の子にどこまで同調できるか。それは自閉症の子や知的なハンディをもつ子達への構えでも、いっしょだと思うのですね。

 

本  田/ まったく同感です。自分にもノンバーバルの同調がそこそこ出来るじゃん、と思えたのは、学生時代に一緒に遊んでくださった自閉症の子や知的なハンディをもつ子達との、ふれあいの最中でした。

 

工房主人/ なんか共通点があるぞと睨んではおりましたが、共通点だらけですね。次は学習光景をぜひ見学させてください。本田さんの開発された「英文読解ルウレ方式」のお話に関心をもたれた方は、ぜひホームページをご訪問ください。

 

 <後記>
会話を続けながら、本田さんは幾度となく流れている曲をチェックしておられた。そして「エリッヒ・クライバー」とか「ジョージ・セル」とか「ミケランジェリ」とか呟いておられた。当方、クラシックに対する「耳」はいたって不調法であり、セルもミケランジェリも存じ上げない。そしてその不調法となったきっかけが、ここ、「クラシック」なのであった。当時、コーヒーが1杯100円。しかもまぎれもなく「ネスカフェ」。何度、そのひときわ苦いネスカフェを飲んだことか(笑)。しかもいずれも枯れ葉散る秋であった。「大学で6年もウロウロしていた」と話し始めたとき、そのことが不意に思い起こされた。本田さん、今度は別の場所にしましょうね。 

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