【学習支援のコツと教材】 学習支援の歴史

 

以下、「戦後日本の教育改革政策の小史」として、

toBe塾の旧HPに載せていた年表の転載です。

いずれ「学習支援の歴史」といったタイトルで、

書き改める予定です。

10年ごとに「このページトップに戻る」表示があります。

 

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戦後日本の教育改革政策小史

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◇黒崎勲(日本教育行政学会元会長・故人)の著書『教育の政治経済学--市場原理と教育改革』(東京都立大学出版会)をベースに、朝日新聞の教育記事を書き加えて、以下を作成しました。

 

◇近現代史を学ぶコツ。年表に自分と親族の年齢を書き込みながら、読み進めましょう。

 書き込み始めた途端に、〈他人事〉が〈自分事〉に変化することに、気づかれることでしょう。

 

 

小中学校の学習指導要領の改訂と特徴

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(学校で実施されるのは改訂の3~4年後)
○1947年=社会科の新設
○51年=道徳教育の充実
○58年(官報告示方式となり、国家基準の性格が強まった)=道徳の時間の新設▽国語、算数(数学)の指導時間の増加
<61年、旧文部省は全国一斉学力テストを実施>
○68年(中学は69年)=教育内容の高度化
<70年代、「落ちこぼれ」「受験戦争」が社会問題に>
○77年=標準授業時間数の削減
<非行やいじめ、不登校の急増を受け、84年に中曽根康弘首相の諮問機関「臨時教育審議会」(臨教審)が発足>
○89年=生活科の新設(小のみ)▽体験的・問題解決的学習の充実
<93年、文部省(鳩山文部相)が高校進学指導の際に偏差値を使わないように指導>
○98年=「総合的な学習の時間」の新設▽各教科の内容を3割減らして基礎学力の定着を図る
<02年4月、新指導要領の実施とともに完全週5日制、総合的な学習の時間(週2~4時間)始まる>
○03年(一部改訂)=「発展的内容」を認める
<05年、中山文科相が「総合的な学習の時間」の授業時数再検討、現行指導要領「ゆとり教育」の全面見直しを要請>

 

【概要】
==63年経済審議会答申に始まり71年中教審答申で集大成される「教育を労働力市場における人材需要に従属させ、国家的な長期教育計画として、文部省が教育改革を実施する」という構図を支えてきた基本的な枠組みへの<確信>は、84年臨時教育審議会の改革提言と91年第14期中教審の審議経過報告により<根本的に変容>し、97年第16期中教審答申で<否定>されて、現在進行中の「分権化と選択」を基調とする教育改革政策に至る。13.14.16.203.

 

 

戦前・戦中の日本教育小史

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1941年12月8日 日米開戦
1942年 元経団連会長・土光敏夫(故人)の母堂・土光登美が、橘学苑女学校を神奈川県鶴見市の自宅敷地に設立。戦時中に、命の大切さをうたった。

 

 

戦後日本の教育政策改革小史

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1945年8月15日 敗戦
47年 学習指導要領試案 米国教育使節団 生活単元学習 社会科の新設
1950/6 朝鮮戦争で日本再軍備の動きが活発化
51年 道徳教育の充実
52年 社会科の登場
55/8 日本民主党『うれうべき教科書の問題』が教科書検定の強化に道を開く。
57年 勤務評定闘争
57年 スプートニク・ショック。アメリカSMSGハイタレント教育政策
57年-58年 量の体系と水道方式(数学教育法)。
58年 学習指導要領は官報告示方式となり、国家基準の性格が強まった) 道徳の時間の新設 国語、算数(数学)の指導時間の増加

 

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1960年 日米安保条約
61年 全国中学校一斉学力テスト実施
63年 仮説実験授業(理科教育法)

 

▽1960年代
>高度成長下、「教育投資」という発想が生まれ、各種経済団体が手を替え品を替えて、科学・技術教育の振興、職業教育の充実を要望した。

 

【1-1確信】1963年 経済審議会答申63/1
>経済審議会(当時の経済企画庁の諮問機関)答申「経済発展における人的能力開発の課題と対策」が上記▽の集大成。この答申の「人的能力」とは、人間を経済発展のための資源の一つとみなす発想から生まれた言葉。アメリカではHuman Capital(人的資本)と呼ばれる「教育投資は能力開発をもたらす」という考え方で、83年以降レーガン、クリントン、ブッシュ政権へと引き継がれる。
==高度経済成長に伴う長期的な人材需要計画の策定を目指し、そのなかに教育計画を組み込もうとするものであった12。
==能力主義教育政策の提唱213.

 

64/1 TVアニメ「鉄腕アトム」放映開始 10東京オリンピック
66年 TVアニメ「巨人の星」放映開始

 

▽1966年 中教審答申10/31「後期中等教育の拡充整備について」
==「能力と適性に応ずる教育」を提唱。その理念の重点は、個人の特性の限界を「客観的」に見極めて、「安易な進学」への要求を抑制するところにあった。71年四六答申がこれを極めて明快に主張した222
==画一化を批判して「能力と適性に応ずる教育」を提唱したこの時代の教育政策が、かえって階層的に序列化した学校機関のひとつひとつに生徒を画一的に類型化していった216.

 

67年 都立高校学校郡制度
68年(中学は69年)=教育内容の高度化

 

▽1968年の学習指導要領
>経済審議会の63年答申をもろに反映したのが68年の学習指導要領で、「数学、理科教育の現代化」を図るとともに、国語で学年ごとの漢字数を増やすなど、各教科で教える内容を大幅に増やした。これに基づいて教科書も改訂され、小学校では71年度の1年生(中学校は72年度、高校は73年度)から導入された。

 

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<70年代、「落ちこぼれ」「受験戦争」が社会問題に>
70年 文部省『期待される人間像』 日米安保条約 大阪万国博覧会
70/7 教科書裁判で杉本判決が「国民の教育権」を引用。「発達」「子ども」
>これは「親はわが子に関する教育権を、国家に付託することなく、直接に教師に付託する」という考え方

 

【1-2確信】1971年 中教審四六答申「今後における学校教育の総合的な拡充整備のための基本的施策」
>68年の学習指導要領の失敗は、学校現場に導入されると同時に、明らかだった。それを踏まえて中教審は71(昭和46)年、いわゆる「四六答申」を出した。
>68年指導要領に基づく71年度の小学1年生から導入された盛りだくさんの教科書に対し、子どもたちも教える教師たちも、たちまち消化不良を起こした。このため文部省は翌年の72年「詰め込み教育是正」の通達を出した。「落ちこぼれ」という現象は、この時期以前から指摘されていたが、それが問題化し、また70年代初め塾通いが急増し、「乱塾」という世相語を産んだ。
>71年度の小学校1年生が高学年になったころ、大人には原因不明の小学生の自殺が頻発、彼らが中学生になったころ、校内暴力・対教師暴力多発期が来る。この世代が高校を卒業する83年、「少年非行の第三のピーク」が記録された。さらに、この世代が大学を出て社会人になった85年、職場の先輩から見た新入社員は「新人類」(世相語から)に見えた。
==60年代における高度経済成長を人材供給の面から支えた文部行政の達成感と、能力主義と教育の多様化の理念にもとづいて長期教育計画を策定することについての理論的確信とが示されていた12。
==個人を多様化された教育機関に分化することを政策理念の前提としていた225。
==教育システムと経済システムとの統合を絶対的な前提とし、……社会的機能の見地から教育を経済システムに統合する227.
==教育費の受益者負担主義を強調する。これは教育が私的なものであり、教育のあり方を個人の欲求充足という観点から評価されるべきものと主張する点で、今日の教育改革論にそのまま連続する175.176。
==71年中教審答申は「教育を生々発展する社会的機能の一環としてとらえること」を自らの改革構想の根拠としていた。(これに対して、97年第16期中教審答申においては、そうした社会的機能の一環として教育を把握するという社会構造的な把握は姿を消している199。)

 

71年 日教組制度検討委員会『日本の教育はどうあるべきか』「正義の原則」
73年 雑誌『ひと』創刊  (村上春樹『1973年のピンボール』)
   少年マガジン連載「あしたのジョー」終了
74年 梅根悟・日教組制度検討委員会編『教育改革を求めて』
75頃 都市への人口移動がほぼ完了
75年 自民党文教部会『高校改革の中間まとめ』。「競争原理が人間の原理であり、遺伝によってある程度人間の能力に差がある以上、教育万能論は正しいとは言えない」読売新聞75/12/9
76年 遠山啓『競争原理を超えて』 TVアニメ「宇宙戦艦ヤマト」

 

▽1976年 教育課程審答申「ゆとりある教育」
>四六答申に基づき、教育課程審が76年(三木内閣・永井文相)に出した答申に「ゆとりある教育」が登場した。これは経済界の要請に安易に応じた「詰め込み教育」失敗の反省から生まれた。これを受けた77年の学習指導要領で、授業時間が1割削減され、指導内容も大幅に削減(文部省用語では「厳選」)された。これが80年度から、小学校に導入された。同時に、週1時間の「ゆとりの時間」が設けられた。「ゆとり教育」の流れは、89年の学習指導要領、98年の学習指導要領に引き継がれる。

 

76年 橘学苑、授業「総合」開始
77年 標準授業時間数の削減 <非行やいじめ、不登校の急増を受け、84年に中曽根康弘首相の諮問機関「臨時教育審議会」(臨教審)が発足>
79年9月11日 遠山啓逝去(享年70歳)

 

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1980年頃 高校進学率98?%
81年 公立中学英語授業時間が週三時間に。公立学校離れを加速させる

▽1983年第13期中教審第
・自己教育力の育成、基礎・基本の徹底、個性と創造性の伸長、文化と伝統の尊重

▽83年4月 米レーガン報告書「危機に立つ国家」
>米レーガン政権下の教育庁長官の諮問委員会が提出した報告書「危機に立つ国家」が、学生の学力低下、教師の質の低さを指摘。これをきっかけとして、学力向上をめざし、公立学校での教科課程(カリキュラム)の断片化是正、小人数クラスの実現が図られ、さらに、クリントン政権下、4年時で英語(日本なら国語)、8年時(中2相当)で数学の統一テスト(標準テストとも)実施へ。クリントン政権下ではさらに、Head Start(幼児期の早期教育)、After Scool(放課後教育)にも、公費助成がされるようになった。

 

【2-1変容】1984年~87年 臨時教育審議会
==教育は市場における公正な競争原理を通してのみ、高度な知識と技術が集約され多様化された社会と特徴づけられる二十一世紀の情報化社会に適応した、活性化した姿を保ちうると主張し、教育改革を国家的長期計画として実行することを否定するものであった。その論理が、分権化と選択を基調とする現在進行中の教育改革政策の先駆的な典型ともいえるものであった13。
==京都座会84/3-中曽根ブレーン主体?-によって「二十一世紀の日本の死命を制する」とまで意義を与えられた教育の自由化の理念…… 
 一.学校の設立を容易にして、多様化すること 
 二.通学区域制限を大幅に緩和すること 
 三.意欲ある人を先生にすること 
 四.学年制や教育内容、教育方法を弾力化すること 
 五.現行の学制を再検討すること 
 六.偏差値教育を是正すること 
 七.規範教育を徹底すること
……京都座会の主要メンバーであった天谷直弘は84/9に設置・発足した臨教審の第一部会長として、そのまま臨教審改革の基本的な考え方として提起したのである183。
==85/6/26臨教審第一次答申「個性重視の原則」216.……教育制度に市場原理を導入し、学校選択制度によって学校を活性化させるという「教育の自由化」の衝撃的な問題提起をめぐる複雑な駆け引きの結果、教育の自由化の隠れ蓑として「個性主義」が唱えられるようになり、さらに字義の明確さが問われて「個性重視の原則」に落ち着いたものとされる217.
==第一次答申「我が国の教育は……諸外国と比較して……全般的に知的水準の高い国民が育成され……他方、記憶力中心で、自ら判断する能力や創造力の伸長が妨げられ個性のない同じような型の人間をつくりすぎている……制度やその運用の画一性、硬直性による弊害が生じている」178.
==第四次答申において「画一よりも多様を、硬直よりも柔軟を、集権よりも分権を、統制よりも自由・自律を重んじる」ことを教育行財政改革の方向であるとした185.
==71年四六答申に代表される60年代以降の教育改革の道筋を根本的に転換する端緒となった176。
==臨教審の審議の流れをつくった香山健一流の自由化論190.

80年代中頃  土光敏男(橘学苑創立者・土光登美の息子)が経団連会長。首相・鈴木善行と共に行政改革に心血を注ぐも挫折。土光は年収8千万円のうち7千万円を橘学苑に注いだ(NHKアーカイブスより)
85年 自由の森学園開校 文部官僚・寺脇研「文部省の先導的試行を全国に先駆けて実践」
86年 フリースクール老舗・東京シューレ開設
87年 橘学苑(神奈川県鶴見市)が、教育課程に「総合」を週1日に組み込む(橘学苑:土光経団連元会長の母親が戦時中に開校した一条校)

▽1989年学習指導要領改訂
==「新しい学力観」の理念を明示。「基礎・基本の重視と個性教育の推進」219。
・文部省の公式文書に「新学力観」の言葉はない。

89年 生活科の新設(小のみ) 体験的・問題解決的学習の充実
89/11/9 ベルリンの壁崩壊 12マルタ会議で冷戦終結 東証株4万円弱で大納会

 

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90年 文部省と日教組が和解 東西ドイツ統一 2/5白井春男逝去(享年65歳) 8/5八杉晴実逝去(享年57歳)
91/12 ソ連崩壊

 

【2-2変容】1991年第14期中教審 審議経過報告90/12と答申『新しい時代に対応する教育の諸制度の改革について』
==第14期中教審は、個人を社会的機能の見地から直接類型化することに疑問を出したのである。225.
==審議経過報告は、教育を経済システムの制約の下におくことを忌避した……能力主義と多様化による教育政策から解放された、新しい教育政策理念の端緒を探しあてようとしたものと評価することができる227.228。
==文部大臣は西岡武夫186.……小委員会の主幹は西尾幹二187.

▽1991年 都教組の私立中学お受験実態調査
==91年、二十三区内の山の手地域の私立中学受験率は37%、進学率は26%強であった61.……南多摩のある市の進学率は90年19.4%が95年23.5%に推移した。同市では人口の急増に追われるように、当初一つであった市立中学校を67年、73年、80年に相継いで新設開校してきたが、今日ではその統廃合が教育政策・行政上の重要課題になってきている62。……こうして、自らの教育政策と教育行政によって教育のあり方を決定してきたという教育行政当局の自負は、今や根本から覆されるに至ったのである63。

 

▽1992年 指導要録の改定92/3/13
==教育政策の基調は指導要録の改訂をめぐって一変する220。……「関心・意欲・態度」が学力相対評価「評定」221.より上位に置かれることとなった。
==指導要録の改訂は、新しい学力観に立つ教育政策の鍵といえるものとなった。……新しい学力観と「個性を生かす教育」の提唱は、これまでの能力主義と多様化の教育政策とははっきりと違った内容をもつものとなった。221.

92年 埼玉県教育長が偏差値追放宣言
93年 文部省(鳩山文部相)が高校進学指導の際に偏差値を使わないように指導。文部省『新しい学力観に立つ教育課程の創造と展開』234. 
95/4 経済同友会『学校から「合校」へ』 オウム真理教事件
96/3/26 経団連『創造的な人材の育成に向けて~求められる教育改革と企業の行動』

 

▽1996年第15期中教審第1次答申『21世紀を展望したわが国の教育のあり方について』 
・「生きる力」の登場。公立学校週五日制が外圧「日本人は働き過ぎ」から

 

▽1996年 行政改革委員会
==規則緩和小委員会96/7の「規制緩和に関する論点公開」で「学校選択の弾力化」「学校設置の弾力化」「教育内容の多様化」「中学卒業程度認定試験の弾力化」が取り上げられた102.
==行政改革委員会第二次意見96/12/16「市町村教育委員会に対して、学校選択の弾力化の趣旨を徹底し、保護者の意向に対する十分な配慮、選択機会の拡大の重要性の周知を図ることにより、市町村教育委員会が本来の機能を発揮し、学校選択の弾力化に向けて多様な工夫を行うよう、指導すべきである」
==教育制度における規制緩和と選択の自由の必要を訴える85、市場への神話にのみ依拠する規制緩和小委員会107.……学校選択制度を、市場原理=自由競争によって自動的に教育改革のメカニズムが動き出すという類のものと理解している108.……市場原理の単純な適用を原理とする109.……それは公立学校制度を民営化することを最終目標とする学校選択制度109.

 

▽96年 ジョー・ネーザン『Charter Schools』
==チャーター・スクール運動の理論的指導者ともいえるジョー・ネーザンによれば、チャーター・スクール運動は公教育において、はじめて以下の四つの強力なアイデアを総合的に持ち込んだとされる132。
 !)家庭と子どもに対して公立学校の選択の機会を提供すること
 !)教職員と親に対してもっとも意義があると信じる種類の学校を創造する起業的機会を提供すること
 !)標準テストあるいはその他の方法によって評価される教育結果の改善に対する明白な責任
 !)公立学校制度における慎重に考案された競争

 

【3否定】1997年第16期中教審97/6/26~現在進行中の教育改革
・公立学校週五日制、教育内容の三割削減、総合的な学習の三点セット
==学校選択、学校への住民参加、学校の自律性の確立がキーワード208.
==第16期中教審の学制改革提言の論拠は、個人の選択の自由に置かれていた201。
==改革提言には、学校教育を家庭の選好の問題と捉え、学校間の競争がおのずと学校教育の質を改善するとする主張がある198。
==分権化(=権限移譲)と選択を基調とする11.13.176.……分権化社会を目指す今日の教育改革204.
==規制緩和あるいは市場原理を中心理念とする公立学校制度改革の動向203.……現在進行中の規制緩和あるいは市場原理の理念による教育改革203.
==現在進行中の教育改革は、60年代以降中教審に主導されてきた教育改革と劇的に異なる理念に立脚している194.
==71年の第14期中教審答申と97年の第16期中教審答申との間では、実際の教育状況に対する中教審および文部省といった教育政策・教育行政当局の役割あるいは影響力といったものが、大きく変化している。71年中教審答申は「教育を生々発展する社会的機能の一環としてとらえること」を自らの改革構想の根拠としていた。これに対して、97年第16期中教審答申においては、そうした社会的機能の一環として教育を把握するという社会構造的な把握は姿を消している。これに代わって、その改革提言を正当化する論拠として登場しているのが、個人の「選択の自由」であった。ここでは、もはや中教審答申に典型化される教育政策の提言は、かつてのように学校教育制度のあり方を全体として指し示す役割を保持し得なくなっているのである。教育と教育政策の関係は根本的に変化したのであり、教育政策立案者の側にも教育政策の限界についての意識が生じているのである199.200。
==公立学校制度を政策的に方向づけることで教育政策・教育行政当局は日本の学校教育制度を統括し、管理してきた。しかし……公立学校制度の役割が縮小したことによって、教育政策・教育行政当局はもはや学校教育制度の方向を決定する力を失いつつある201。

 

96/10/10 天野拡大読書会@河合塾(小浜逸郎、佐藤学、苅谷剛彦、佐々木賢)
97/2 日経連『グローバル社会に貢献する人材の育成』 『英文読解ルウレ方式』
97/10/10 天野拡大読書会@河合塾(小浜逸郎、藤田英典、佐々木賢、越智康詞)

 

▽1997年 教育課程審議会中間報告97/11 ・総合的な学習 学力水準低下問題
97/10 自民党・政務調査会・教育改革実施本部『教育改革推進の提言』
98/4/29 天野宅にて新学力観テスト分析で缶詰に 98/5/23天野秀徳、倒れる
98年 「総合的な学習の時間」の新設▽各教科の内容を3割減らして基礎学力の定着を図る。中教審答申にアカウンタビリティの考え方が登場208.

 

▽1999年 生涯学習審議会
・文部大臣の諮問機関・生涯学習審議会は、学習塾を学校外の教育の場と位置づけて学校、地域住民、塾が子供の教育に連携を図ることを求める答申案をまとめた。これを受け文部省は、具体的な連携策を検討する」(毎日新聞1999年6月2日付朝刊)
99/6/9 有馬文部大臣「塾と共存したい」発言で、toBe学習援助室がTBSで全国放映される
99年 読書会しょ~と・ぴ~すの会、発足
99/4/  経済同友会『創造的科学技術開発を担う人材育成への提言』
99/2/26 経済戦略会議『日本経済再生への戦略』
99/7/05 経済審議会『経済社会のあるべき姿と経済新生の政策方針』
99/8/  社会経済生産性本部『選択・責任・連帯の教育改革』

 

▽2000年 教育改革国民会議第二分科会報告7/26
==「コミュニティ・スクール」……市町村が設置する。校長を募集、有志が応募するか、有志による提案を市町村が審査する。市町村が学校ごとの地域学校協議会を設置する。校長が独自の判断で学校マネージメント・チームを選び、教員をリクルートし採用する権限を持つ249。
00/1/18 小渕首相の私的諮問機関 21世紀日本の構想・第5章『日本人の未来』
02年4月、新指導要領の実施とともに完全週5日制、総合的な学習の時間(週2~4時間)始まる
03年 (指導要領一部改訂)遠山文科相「発展的内容」を認める
05年、中山文科相が「総合的な学習の時間」の授業時数再検討、現行指導要領「ゆとり教育」の全面見直しを要請

 

 

付記 政財界の教育改革案一覧…JKK塾教育研究会編より

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1995/4/  経済同友会『学校から「合校」へ』
96/3/26 経団連『創造的な人材の育成に向けて~求められる教育改革と企業の行動』
97/2/  日経連『グローバル社会に貢献する人材の育成』
97/10  自民党・政務調査会・教育改革実施本部『教育改革推進の提言』
99/4/  経済同友会『創造的科学技術開発を担う人材育成への提言』
99/2/26 経済戦略会議『日本経済再生への戦略』
99/7/05 経済審議会『経済社会のあるべき姿と経済新生の政策方針』
99/8/  社会経済生産性本部『選択・責任・連帯の教育改革』
00/1/18 21世紀日本の構想・第5章『日本人の未来』

 

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